理化学研究所 (理研) 生命機能科学研究センター呼吸器形成研究チームの榎本泰典研究員 (研究当時)(現客員研究員、浜松医科大学再生?感染病理学講座助教)、森本充チームリーダー、神戸大学医学部附属病院呼吸器内科の永野達也講師らの共同研究グループは、肺胞オルガノイド[1]培養と呼ばれる新しい細胞培養技術を使って培養皿上にミニ肺胞を再現し、肺線維症[2]が発症する最も初期の現象を解明することに成功しました。
本研究成果は、肺線維症の代表疾患であり、効果的な治療法の乏しい難治性の特発性肺線維症 (IPF)[2]の病態解明や、新たな治療薬の開発に貢献するものと期待されます。
特発性肺線維症は、肺胞の壁が厚く固くなり (線維化)、進行すると呼吸機能が低下し生命に関わる疾患です。
今回、共同研究グループは、試験管内で実際の臓器によく似た3次元組織を作る培養技術を応用してヒトおよびマウスの肺胞オルガノイドを作製し、肺の線維化を再現することに成功しました。線維化した肺胞オルガノイドの詳細な解析から、Ⅱ型肺胞上皮細胞[3]という肺胞上皮における組織幹細胞[4]が肺線維症の発症に中心的役割を果たし、その細胞老化がきっかけとなって線維化誘導性の特殊な細胞状態へと変化することが分かりました。線維化誘導性となったⅡ型肺胞上皮細胞は、TGFβ[5]という線維化誘導物質を周囲に分泌し、またTGFβの自身への作用がポジティブフィードバック[6]となって、IPF特有の非炎症性の線維化を誘導していくことを突き止めました。
本研究は、オンライン科学雑誌『Nature Communications』(8月31日付:日本時間8月31日) に掲載されました。

背景

肺胞を構成する細胞のうち、2種類の肺胞上皮細胞 (Ⅰ型とⅡ型) と肺線維芽細胞を示した模式図。肺線維症は、肺線維芽細胞が筋線維芽細胞に分化することで引き起こされる。
肺のガス交換機能を担う肺胞は、表面を覆う肺胞上皮細胞と組織の間を埋める肺線維芽細胞[7]などにより構成されています。肺線維症は、何らかの原因により肺線維芽細胞が筋線維芽細胞[7]に分化し、コラーゲンなどの異常タンパク質が蓄積することで、肺胞の壁が厚くなって固くなる (線維化する) 病気です (図1)。この病態が進行すると呼吸機能が低下し、生命に関わります。特発性肺線維症 (IPF) は肺線維症の代表的疾患であり、原因不明で治療が難しいため生命予後が悪く、日本でも難病指定を受けています。
肺胞の上皮細胞にはⅠ型とⅡ型の二つのタイプがあり、Ⅱ型肺胞上皮細胞は組織幹細胞としても機能します。肺胞が傷つくとⅡ型肺胞上皮細胞が増殖して自分自身を補い、さらにⅠ型肺胞上皮細胞[3]に分化することで肺胞が再生されます。最近の研究から、IPFの発症には、Ⅱ型肺胞上皮細胞の障害と、肺線維芽細胞から分化した筋線維芽細胞の増殖が関わるとされています。しかしこれまで、Ⅱ型肺胞上皮細胞の障害と筋線維芽細胞の分化を直接結び付ける知見は十分ではありませんでした。
また一般的に、さまざまな臓器の線維化の誘導には炎症が関わることがよく知られていますが、IPFの肺では炎症所見が乏しく、実際にIPF患者に対して炎症を抑える治療を行っても有効ではないことが分かっています。すなわち、炎症に依存しない線維化プロセスの存在が示唆されていました。
そこで共同研究グループは、マウスおよびヒト肺の生組織からⅡ型肺胞上皮細胞だけを取り出し、試験管内で培養することで肺胞組織を再構成し、IPF特有の炎症に依存しない線維化プロセスの解明に挑みました。
研究手法と成果
共同研究グループは初めに、肺の線維化がどのように進行するかを調べました。ブレオマイシンという肺線維化を誘導する薬剤をマウスの気管内に投与して肺線維化を誘導し、生体における肺線維化発症プロセスの経時的な評価を行った結果、1) Ⅱ型肺胞上皮細胞のDNAダメージ、2) 炎症、3) 筋線維芽細胞の誘導、4) 線維化が起こることを確認しました。
次に炎症が生じない環境でも線維化が誘導されるのかを検証するため、炎症を起こす免疫細胞を除いた肺組織を生体から分離し、試験管内でブレオマイシンを作用させる実験を行いました。するとこの場合でも、筋線維芽細胞の誘導が見られ、線維化プロセスに炎症が必須ではない可能性が示されました。
そこで、肺線維化を細胞レベル?分子レベルでさらに詳しく評価するため、フローサイトメトリー[8]という手法でマウスのⅡ型肺胞上皮細胞だけを取り出し、それを3次元的に培養することで肺胞オルガノイドを作製し、肺線維芽細胞との相互作用を調べることにしました (図2)。

マウスの肺からフローサイトメトリーを用いてⅡ型肺胞上皮細胞を取り出し、それを3次元培養することで、右のような球体である肺胞オルガノイド (直径約2mm) が形成される。

肺胞オルガノイドにブレオマイシンを作用させDNAダメージを誘導し、その後に肺線維芽細胞をともに培養することで、筋線維芽細胞への分化をライブイメージングしている。筋線維芽細胞への分化は、赤色蛍光タンパク質を組み込んだレポーター遺伝子の発現でモニターした。
肺線維症を再現するため、肺胞オルガノイド培養の培地にブレオマイシンを添加してDNAダメージを与え、その後マウス肺線維芽細胞を同じ培養皿で培養しました。このマウス肺線維芽細胞には、筋線維芽細胞へ分化すると赤い蛍光を発するレポーター遺伝子[9]をあらかじめ組み込んでいます。この実験系により、上皮に障害を受けたオルガノイドの周囲の肺線維芽細胞が筋線維芽細胞に誘導される様子をライブイメージングすることに成功しました (図3)。
次に、DNAダメージを受けたⅡ型肺胞上皮細胞が線維化誘導能を獲得するプロセスを明らかにするため、肺胞オルガノイドで発現する遺伝子を網羅的に解析しました。その結果、ブレオマイシン投与によりDNAダメージを受けたオルガノイドでは、細胞老化の代表的シグナルであるp53シグナル[10]が高まっていることが分かりました。そこで、p53シグナルを高める薬剤で肺胞オルガノイドを処理したところ、ブレオマイシンを投与しなくても周囲の肺線維芽細胞が筋線維芽細胞に誘導されることが観察されました。これは、p53シグナルを受けて分泌される因子が、線維化の誘導に関わっていることを示唆しています。
p53シグナルと肺胞オルガノイドの関係をさらに詳しく調べた結果、Ⅱ型肺胞上皮細胞においてp53シグナルが高まると、「AT2-A